知床自然センター 水源地管理
「甘くて、冷たくて、それはいい水だった」
『知床開拓スピリット』(著・栂嶺レイ)にて語られるその水は、今も知床自然センターの水道へと繋がっています。
私たちは春と秋の年に二回、施設管理業務として水源地の維持管理のための点検と清掃を、地元の専門業者の方と一緒に行っています。普段何気なく使っている知床自然センターの水ですが、この水には開拓時代の人々の逞しい暮らしの歴史が詰まっているのです。
今回はそんな知られざる私たちの水源地維持管理活動についてご紹介します。
知床の森に水道を引く
大正三年頃から昭和四十年代にかけて知床半島へ入植した人々は、水を得ることに非常に苦労したと言われています。知床は知床連山の噴火によってできた火山礫の大地。地面の表層に僅かに出来た薄い土壌では井戸を掘ることが出来ず、山林に豊富に流れている川の水も火山成分の酸性が強い
為、生活用水として使うことは困難だったのです。ホロベツ台地に入植した人々は毎日ホロベツ川まで崖を降りて水を汲んでいました。当時はプユニ湾沿いの道路は無く、崖を登り降りしての水汲みは大変な労力でした。
そして、今から約七十年前の昭和三十一年、人々は水道を引く事を決意し、水道に使うための綺麗な水源を探しに、深い原生林の中に分け入ったのです。
その時に発見された水源の水は、入植者が利用した当時のまま今も知床自然センターへと運ばれ、ビジターや私たちスタッフが利用しています。
道なき「道」を行く
水源地への道は、知床自然センターから知床峠へと向かう知床横断道路の途中から始まります。道と言っても、林道や作業道があるわけではありません。入口には背丈ほどのササが壁のように立ちはだかります。森に入る事が出来そうな場所を見つけ、倒木に足を取られそうになりながら進んでいきました。
森の中では、林床をかき分けて進む経験者のスタッフについていくだけで精一杯です。ヒグマ避けの声出しが緊張感を高める中で、登山地図もGPSも持っていない開拓当時の人々はどうやってこの「道」を歩いたのだろうと、当時の人々の逞しさに感服せざるを得ませんでした。
知床自然センターの水源地
森に入り標高百メートルほど登った地点から尾根を越えて沢の斜面を降りていくと、急に水の音が聞こえてきます。
大きな岩が積み重なる沢沿いに、埋もれるようにコンクリート造りの水槽が顔を出していました。上部の蓋板や、円柱型の水槽のサビ付いた蓋が長年の歴史を感じさせます。
水槽や蓋板に破損が無いことを確認したら、清掃に取り掛かります。デッキブラシやザルを使用しての清掃は、雪解けの沢水で手がかじかみ、想像以上に大変でした。
知床の開拓地跡では、家屋や当時の道具が朽ちかけたまま残っているのを見る事がありますが、この水源地は私たちが維持管理を行うことで今も現役です。先人たちの知恵と苦悩が今もこの水の流れのように、脈々と受け継がれている事を感じました。
水源地での作業
①水道の点検
水源地から続く水道管に破損や腐食がないかを点検する。
水道管は基本的に地面の中にあるが、地上に出ている部分も。
②水槽の清掃
水槽の蓋を外し、苔や枯葉等をデッキブラシで落とす。
水槽のなかにはカラマツの葉などが入り込んでいるため、ザルですくって取る。
かつて開拓者が引いた山深い水源地
知床100平方メートル運動ハウスの前に、石が組まれた小さな水道があります。夏場はここで手を洗うビジターもいらっしゃる水道ですが、実は水源地から繋がる水道の終点がこの蛇口なのです。
森の中から繋がる開拓時代からの水源。枯れることのないその水は、知床に残っている開拓の遺物のうち現役で利用されている物のひとつです。
蛇口を捻れば普通に出てくる水ですが、その水には七十年前水源を探した人々、水源を利用できるようにコンクリートや木を運び、水道管を引いた人々、知床という土地を生き抜いた人々の英知と努力が詰まっていました。
皆さんも知床自然センターで水道を使う時、その水源を発見した開拓時代の人々の生き様を思い描いていただければと思います。
参考・引用文献
・栂嶺レイ『知床開拓スピリット』柏艪社
引用P66